私の音楽的ルーツ Part2

さて、Part1に引き続き、自分自身の音楽的ルーツを自分自身で確認するべく綴っていきたいと思います。

ギターと歌のユニットは名称を変え、「諸国安堵」として時々ライヴをやりましたが、メンバーとの時間の都合がなかなか合わなくなり、1986年に解散しました。

そして並行していた音楽学校時代、別の科ではありましたが知り合ったノリさんから、ご自身が入っていたバンドのライヴに誘われるようになります。
もちろんサックスでの参加なわけですが、それまで歌のバンドのパックをあまりやっていなかった私にとっては、このバンドはとても刺激を受ける場所となりました。
というのも、ブルース系のバンド、そしてしばらくしてパンクバンド(このバンドの作詞&ボーカルは恐ろしく吹っ飛んでいました)も吹くようになり、目黒の区民会館大ホールでもコンサートをおこないました。
こういう環境で吹くのが初めてなら、鋲付きのタイトなベストを上半身裸に着て、着る時に腕を鋲で切ってしまい、血を流しながらライヴをするという何ともセンセーショナルな(笑)経験もしました。

また、今はもうありませんが、当時渋谷に河合楽器のビルがあり、そのころ河合楽器が主催していたポップスコンテストにゲストとして呼んでもらいました。
ちょうどその時にグランプリを獲得したバンドが、今のドリカムの前身だったのです。
将来こんなにヒットを連発する素晴らしいグループになるなんて思いもせず・・・今思えばサイン貰っとけばよかった(笑)

主催したライヴには、パンマスと親交のあったM・カーティスさんが飛び入りで歌ってくれたりしました。
週一くらいで新宿でライヴをやったりと、とにかく楽しんだ時期でした。

その後、このバンドは西欧の騎士伝説をモチーフにしたコンセプトを得て、バンド名も変え、新たなスタートを切ります。
楽曲はパンマスがギターの弾き語り程度のものを録音し、それをもとに私が全てのアレンジを任されるようになりました。
劇場型アレンジあり、シャンソン風あり、フラメンコ調あり、ジャジ―に仕上げる時もあり、この頃はアレンジメントのアイデアが湯水のように湧いてきたものです。
別件での用事と抱き合わせでヨーロッパを数回旅し、途中路上パフォーマンスをゲリラ的におこなったり、ライヴハウスで演奏したりしました。
パリやロンドンの地下道での演奏は、さすがにすぐ警察がやってきて、制止されパスポートの提示を求められました。
しかしモンサンミッシェルの門前でおこなった演奏は、おとがめもなく楽しくでできました。

そんななかなか経験し得ないことを経験し、将来へのビジョンは高まっていきましたが、それと逆行するように国内でのライヴやリハの数が減っていき、先行きが不安にもなっていきました。

家庭があり子供がいて、このまま続けることへの不安や家族に負担を強いていることへの葛藤。
家庭での溝は深まりばかりとなっていました。

地に足をつけないといけない・・・そんな状況の中で、私は一大決心をします。
それまで東洋医学や整体を学んでいたことから、カイロプラクティックを学び直し独立開業を目指すことにしたのです。
そして、それに集中するために音楽に関わることを辞める決意をしました。
バンドのメンバーや関わっていた人たちとは関わりを断ち、私は私の道を歩む、そう心に決めたのでした。

楽器を売り払い、演奏を断った私はそれから約10年の間に、開業し拠点を構えることとなりました。

その間離婚を経験し、まさに山あり谷ありの年月を渡ってきた気がします。

そして、たまたまネットで見つけた高校の同期、信長くんとの再会が、また私を大きく変えることになります。

音楽活動をずっと続けていた彼は私と再会して、音楽の再開を薦めてくれました。
いろいろ考えましたが、彼のバンドメンバーとして、もう一度楽器を持つことにしたのです。
ほどなくしてライヴもおこない、ステージに立つ楽しさを改めて実感したのでした。

しかし再度、やんごとなき事情で音楽から離れることになります。
詳しくは書きませんが、この時さらに1年ほどのプランクを余儀なくされることになったのです。
ただ、やはり1度再開したライヴ、機が熟せばまた再びという気持ちになります。

そうして、再度売ってしまった楽器をまた買い直し、ライヴに参加するようになりました。
レギュラー参加の信長くんのバンド「Justice&10000tears」では第一興商主催のバンドコンテストでグランプリをいただき、再開して良かったという実感を得たものです。
今はこの「テンティア」は活動をスローにしていますが、そのほかにボーカリストから誘っていただいたり、ジャズ系のバンドに呼んでもらったり、ゆっくりペースではありますが音楽にたずさわる喜びを感じています。

最近は自分のライヴもさることながら、自らライヴを企画して素敵なアーティストを広く紹介していきたいと活動を始めました。
もちろんプロダクション業務のように人を抱えて営業をしていくわけではありません。
事務所に属さずとも、とても素晴らしいアーティストはたくさんいます。
そんなアーティストたちを応援していきたいのです。
大手事務所や有名プロデューサーからすれば、アリンコのごとき小さな活動かもしれませんが、アンダーグラウンドでもいい、そういった素敵な人たちと“良い氣”を共有していきたいと思っています。
そしてその“氣”を聴いてくれるお客さんと分かち合いたいと考えています。

人生蛇行ばかりしていたし(今でもそうですが)、ゆっくりのんびり安心したこともないし、山あり谷あり時には嵐あり、晴れ間の方が少ないかもしれないけれど、それでもこれが私の人生なのだと思います。
こんな私の人生を、少し距離を置いたところから見守って(認めて?)くれている今の妻には本当に感謝しています。
本来なら私が大きな愛で妻を包んでいなければいけないのにね・・・。

私の音楽的ルーツ、というタイトルですが、どうもまとまるようなものでもなさそうです。
様々な出来事が私の人生を駆け巡り、ある時は翻弄されましたが、結局全ての道は音楽へと通じているのかな、と感じます。
音楽の力ってそれほどまでに大きくて偉大なのですね。
これからも音楽に関わりながら、妻と共に少しでも楽しい時間・・・人生を歩んでいけたらこれほどの喜びはありません。


お付き合いいただきありがとうございました。
大変長文となりましたが、もし最後まで読んでいただいた方がおいででしたら是非コメントをください。



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