私の音楽的ルーツ Part1

最近ライヴのたびに、ご一緒するアーティストさんの演奏も聴いていて、「これは素敵だな!!」と思ったアーティストさんをナンパしています。
ナンパというのは決して厭らしい意味ではなくて(笑)
私自身が企画するライヴイベントに出演してもらう方々の輪をつくっているのです。
だからあくまで私の主観で、演奏の技術的な面や個性、人柄なんかを感じ取って直感的に「呼びたいっ!!」という人だけ声かけをしている次第です。

で、そうやって輪を広げつつある状態で、ふと思ったのが自分の音楽的なルーツを今一度振り返りたいな、ということ。
少なからず過去の経験や感じた思いが今の自分を作っているはずだし、それを頭の中だけではなく文章として記録したいなと思ったわけなのです。
そこで2回程度にわたって、「私の音楽的ルーツ」について綴っていきたいと思います。

まぁよくあるアーティストの紹介文と似て非なるものなわけですし、私のプロフィールもすでに書いてはいますが、もう少し詳しく書こうということです。
一部個人名などを敢えて出させていただくので、もしご都合が悪い場合はご連絡を。(すぐにイニシャルに変えます)

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さて、さかのぼれば私が産まれたころ、4歳違いの姉はすでにピアノ・エレクトーンを習っていて、父親は合唱団にもいたことがあるクラシック好き・・・そんな家庭でした。
物心ついたころには、いつも姉のピアノの音が聴こえていたし、休日には父がかけるモーツァルトやベートーベンのレコードの音が耳に入ってきていました。
感受性が豊かだったのかどうなのか、確かベートーベンを聴いていて(曲名は忘れましたが)自然と涙がこぼれてきたことがありました。
姉のピアノは、別に私がソルフェージュや和声を学んだわけではないのですが、その響き方からミスタッチをするとすぐにわかるという、ちょっと嫌な弟だったかもしれません。

小学3年生の時に私は腎臓を患い1ヶ月ほど入院をし、その後数カ月自宅で療養をしました。
その時にたくさんの本に出会ったのと同時に、ラジオがとても楽しみな存在となりました。
当時FM放送では洋楽がたくさん流れていて、ビートルズやローリングストーンズ、エンゲルベルト・フンパーディンクなどなど、良質な洋楽をそれこそたくさん聴いたものです。
もちろんクラシックも好きで聴いていました。
それに落語とかラジオ小説とか、クロスオーバーイレブンも好きでした。

ドクターからは1年は休学しないと、と言われていた病気は数カ月で回復し学校にも復帰。
当時は京都に住んでいたのですが、6年生の途中から東京に転居となります。
そして、その東京で様々なカルチャーショックを受けることになるのです。
ビルの大きさ高さ、道の広さ、人の多さ、見るもの聞くもの全てが驚きで新鮮でした。
転向した小学校ではクラシック好きの友達ができ、学校でもラジカセでクラシックを聴いたりしていました。(変わった小学生です)

いよいよ中学校に上がり、何のきっかけか未だに解らないのですがギターを始めました。
京都にいた頃から母親がたまたま持っていた(使っていなかった)クラシックギターをおもちゃのようにお琴のように鳴らしてはいたのですが、何故か中学生になって俄然練習を始めたのです。
ちょうどフォーク全盛の時期で、ギターの教則本にはかぐや姫やオフコース、井上陽水さん、さだまさしさんと言ったフォークシンガーの曲が練習材料として載っていました。
1年生の時から作詞作曲を始め、中学校の文化祭では友人とデュオを組んで出場。
全曲オリジナルでやっていました。

中学校を卒業直後には、同級生だった雨宮くんたちとジョイントでライヴを企画。
地元の区民館ホールを借りて、200名近く集めたのではないかと思います。
その雨宮君は今、音楽機材関連の仕事をしています。

無事に高校生となった私は、音楽熱が冷めるはずもなく新たに3人のユニットを結成しました。
秋元くん、石川くんとのユニットは、その頃姉が大ファンだったジョン・デンバーの影響を受け、カントリー&ブルーグラス・フォークといったジャンルに移り変わっていきます。
さらにそれと並行して、フュージョンバンドも結成。
実は同級生で音楽好きの友人とバンドを組もうという話になり、当時流行っていた渡辺貞夫さんやウェザーリポートなどをカバーするため、私はサクソフォンを担当することになったのです。(何故ならペースやドラム、ギターなどはすでに経験しているメンバーがいたからです)
でも楽器を持っていない・・・買わなきゃ!!
ということで10万円のヤマハアルトサックス YAS-62をバイトして購入しました。
考えてみると私のせがれも、大学でいきなりライヴの予定が決まってからエレキギターを買って練習を始めていましたから、血は争えないということでしょうか(笑)

さて、ギターと歌のユニット「音楽愛好者協同組合」とフュージョンバンド「エクスプロージョン」のかけもちとなった私は練習もリハも忙しくて、それが楽しかったという学生生活。

高校卒業後、大学進学者が比較的多い学校にあって私はジャズ系音楽学校に進むことになります。
いよいよ抜け出せない音楽の泥沼にはまっていくことになるわけですね。
開校したばかりのミュージックカレッジ・メーザーハウスの入学審査(一応実技試験とかあったのです)にとおり、サックス科1期生となりました。
当時のクラスメートには、今大活躍している菊地成孔くんとか野之田万照くんがいて、大いに刺激を受けました。
アルトサックスのみだった私は、一度菊地くんからテナーを吹いてみてと言われて、「なかなかうまいんだよ」と言ってくれた嬉しい記憶があります。
先生は売れっ子ミュージシャンの伊東たけし先生。
ただライヴツアーやCM撮影等多忙で、ちょくちょく自習になっていましたね(笑)

ここから先はまた次回に回したいと思います。
なんたって長文ですから、読む人は大変だと思いますが(いったいそんな方がいるのかどうか)もし全文読んだ方がいらっしゃったら、是非コメントください。

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この記事へのコメント

秋元くん
2015年04月23日 19:53
エクスプロージョン、懐かしいですねぇ。すっかり名前は忘れていました。
irisan
2015年04月27日 16:43
「秋元くん」さん(笑)コメントありがとう!!
懐かしいでしょ。歳取ると昔を懐かしむんだろうか(爆)

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